いのちの探求 ー 幼子の泣く声
『帰りたい。』
いつの頃からか、心の奥深くより、響いて来る声が、あった。
それは幼子の姿をともなって、私のこころの内に現れるようになった。声も出せず、目も見開かれたままで、ただひたすら無力に、泣き続けるのだった。声帯も奪われているかのように見えるその姿、その身体全体から、声は、途切れる事なく、響いてくる。
ただ 『帰りたい。』 と。
私自身のまるで分身のような、この泣き続ける幼子の存在を感じるようになってから、私はこの いのちの探求を、無意識のうちに開始したのだった。果たして命がうまれ、そしてまた帰っていく場所が、あるのだろうかと。そしてこの内なる幼子の、泣きやむ時が、来るのだろうか、と。さあここが帰る場所だよと、この子にあたたかく、伝えられるときが、やって来るのだろうかと。
しかしそんな場所はどこにもない、と、その時、思わざるを得なかった。傷口は生々しく、開いたままだった。
ならばせめてこの、泣き叫ぶ声から、逃げる事だけはしまいと、心に誓った。
どうしてこの子を、置き去りにできよう?
どうしてこの子を、見捨てられようか?
傷口に蓋をすることだけは、自分に禁じた。そして何度も何度も、その無惨な、火山の火口のような傷口へと、巨大な闇につつまれた、まるで底の見えない深淵へと、飛び込んだのだった。
そこに満ちあふれる、地獄のような業火に焼かれ、幼子の泣き叫ぶ声に耳をつんざかれ、そのすべてにあおられるように、私は絵を、ひたすら描き続けたのだった。
せめてその、声にならない声が、外へと放たれ、昇華されますようにと、願いをこめながら。
そのうち不思議なことに、気付くようになった。こころの傷の、奥へと深く深く、潜り込めば潜り込むほど、音が響きをもたらす時、何かの色彩のようなものを、感じるようになりだしたのだった。
そして反対に、ものの様々なかたち、動き、色合いに、原初の音楽のようなものを、見出しはじめた。
偉大な宗教音楽のような、ジョン・コルトレーンのサクソフォンや、ビリー・ホリデイの、人類の業苦そのものから生み出されたような、晩年の彼女の歌声を聞いた時、とてつもなく鮮明に、目の前に、ヴィジョンのようなイメージが、閃光のように輝くのだった。
もし私の描き出すものから、まざまざと音が感じられるのなら、それは素晴らしい絵画、価値のある作品にちがいない。そしてそれはまた、命の源のようのところに導く、試金石のようなものかもしれない。
そういった予感を抱きながら、私はその探求を、来る日も来る日も、続けていった。
この内なる幼子の泣く声は、音楽の、そして芸術・芸能の根源と、
いや、必然的にそれらを生み出した、この不可思議な、我々のいのちの根源へと、導くのではないか、と、かすかに予感しながら。
その時にはそれがまさか、はるか遠い彼方、
アフリカ大陸の、モロッコ伝統音楽・グナワの儀式として、そしてインドの音楽の神秘思想として、
解き明かされる日が来るとは、夢にも思わなかったのだった。
